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●ボードゲーム作り02

 「体験」の為にゲームを作る。

 これが自分にとっての目的なのだが、具体的にはどのようにそれを形にしていくのか?

 reabyssを例に話を進めていくと、このゲームはいわゆるロールプレイングゲームなので、レベルアップしてボスを倒す、というとてもオーソドックスな内容が思いつく。コンピュータゲームであれば幾らでも思いつくし、例が山の様にある。それは複雑な物から初期作品の単純なものまで、まさに千差万別だと思う。

 そこでreabyssはどんなゲームにしたいのか? という事だが、前回「繰り返し遊びたい」としてその「体験」は<ゲームオーバー>といっていた。<ゲームオーバー>とは繰り返し挑戦する動機の一つになると思う。なのでこれを「体験」させたいとしていたのだが、前回も書いた通り、難しいだけではその動機にならない。絶対クリアできないと感じてしまったものに、繰り返し挑戦する人はなかなかいないのではないだろうか。いや、いないわけではないが、それはまた別の話になってしまうだろう。別の人、というべきか。

 そこで考えていたのは「繰り返し遊びたい」という事であった。その為にはある程度、準備が単純な方がいいだろう。コンピュータゲームであってもリトライがしやすいかどうかで、ゲームの評価が変わると思う。まあ、かつてはゲームソフトではなく、ハードの問題で繰り返しのチャレンジがきつい、という事もあったが。

 ボードゲームである以上、準備もすべてプレイヤー自身が行うので、繰返し遊ぶ場合は手間は少ない方がいい。となると一番単純な行動は何か、という事を考えてみた。大抵のボードゲームが何かしらのケースに入っており、そこからカードないしアイテムを取り出して、しかるべき準備を行い、いよいよゲーム開始となる。

 そこで考えた単純な行動とは、カードをケースから取り出す、という内容である。これを行うだけでゲームができるなら、「繰り返し遊びたい」に繋がりやすいのでは、と考えたのだ。

 普段、ゲームを作る際、一言で表せられるキャッチコピーのようなものを自分なりに考えておくのだが、この時のキャッチコピーは「ふたを開けたらすぐダンジョン!」となっていた。

 このキャッチコピーを完全に再現しようとすると、説明書も不要で、いきなり遊べるルールにしようとこの当初は躍起になっていたが、そうはならなかった。何故なら「繰り返し遊びたい」とどうしても合致しない内容になってしまうからだ。勿論、なにがしかやり方はあったのかもしれない。だが、それを作り出す事は出来なかった。

 この時優先すべきは、「繰り返し遊びたい」の方であり、そこから生まれたキャッチコピーではない。これが会社であれば、開発と営業とでもめたりするのかもしれないが、幸い作業をするのは自分一人である。もめる事なく、しかし後ろ指を引かれながらキャッチコピーをあきらめ、「繰り返し遊びたい」と<ゲームオーバー>をベースにルールを決めていく事になる。

 もしこれが変わっていた場合、恐らくこの後も何か思いつくたびに、内容が二転三転してゲームが出来上がってなかったかもしれない。

 この作品で使わない内容はアイデアとしてメモしておき、アイデア出し作業を続ける。「繰り返し遊びたい」と<ゲームオーバー>を「体験」させる為のアイデア出しが、目的である事を間違えないように。



 
 
 

●ボードゲーム作り01

 自分がボードゲームを作る時、あれも作りたいこれも作りたいと色々アイデアだけはあるが、どれが面白くてどれが面白くなさそうか、正直判断がついていない。何故なら、作っている最中にも、よりよくしようとする気持ちとアイデアが出てくる為、最初の状態とは変わってくるからだ。まあ流石にこれはいくら何でも、というものもあるが。

 そこでたくさんある中から何を作っていくか、という事だが、これは何を作りたいか分からない、と実は同じ状態だといえる。何を作りたいか分からない、けど何か作りたい。そんな状態。

 そこで、自分の場合、最初に決めるのは「体験」である。

 その造りだしたゲームで、プレイヤーに何を「体験」させたいのか、を考えるのだ。

 ●①例えばミラーインドラキュラという作品を作った時である。このゲームは光を反射させて相手に当てれば勝ち、という対戦パズルゲームなのだが、このゲームで「体験」させたい事は<先読み、混乱、見落とし>である。

 ルールの詳細は省くが、各カードを回転・スライド・破壊する事で光の進路が分岐したり増えたりし、到達地点が複雑になっていくゲームなのだ。この<先読み、混乱、見落とし>を「体験」させたい為に、鏡で光が反射する、というゲームルールを作ったのだ。

 なので、<先読み、混乱、見落とし>を「体験」させる事ができるなら、必ずしもこのゲームである必要はない。たまたまこの時思いついたゲームルールであるにすぎない。もし今同じ「体験」をしてもらいたいとして作るなら、まったく別のゲームになると思う。もしくはわざと似たゲーム性で、よりアイデアを成熟させたものも作れるだろう。

 ●②またロールプレイングのreabyssの場合、1人用で繰り返し遊びたいという欲求があった。この時思った「繰り返し遊びたい」は勿論「体験」なのだが、より強く思った「体験」は<ゲームオーバー>であった。細かく話していくと長くなるので省くが、単に<ゲームオーバー>ではクリアできないようにすればいいだけなので、そもそもそれはゲームといえない。なので宣伝でもよく使わせてもらった言葉が<ローグ、ウィザードリィ>であった。それを「体験」させたかったのだ。1人用でサイコロを使わず、繰り返し遊べるものとして。

 こうして他のゲームについてもそうだが、「体験」がそのアイデアの根幹となっている。これはまあ、自分の場合なのでこの考えが正しいとも便利であるというわけでもなく、一つの指標に過ぎない。

 じゃあ何故、自分の場合は「体験」を根幹にしているのか。

 それは<作り出す目的からずれないようにする>為である。先程も書いたように、作っている最中にアイデアが出てきて、コレも、アレもと色々詰め込みたくなってくる。取捨選択をしたとしてもそれを制限なく繰り返していくと、いずれ別の物になっていく。まあ、ショットボックスシリーズは32mm×36mm×36mmサイズなので、そもそもそんなに詰め込めないが。

 この時、ではどのように抑えるか、どのように目的からずれなく作っていくか、それを決める物差しが、メインとなる「体験」である。

 他の要素を入れる事でこのメインの「体験」が面白くなるか、薄まらないか、極端になりすぎないか、何の影響も与えないか、それらを考え、時にテストプレイを繰り返し取捨選択と修正をしていく。

 ●①であれば1人用のゲーム性も入れようとしていたが、<先読み、混乱、見落とし>という「体験」要素がうまく保てず、それを入れない事にした。

 ●②の場合、パーティーを組む、経験値、など他にも様々な要素があったが、その結果勿論複雑になっていくわけで、それは「繰り返し遊びたい」に対し手間がかかるという状況を作り出すので、省くことにした。他にも様々な影響がアイデアを入れる事で発生したので、それら全てを入れない事とした。

 こうして指針がぶれない事で、作り込みや調整などまだまだ甘い部分はある物の、最後まで作りきる事ができたのだ。

 そうして、現在進行している新規のゲーム「体験」は<困る>である。困らせたいのだ。そこにはZoLaの時のような戦略性ではなく、日常的な悩み、もしくはそれに準ずる悩みであり、だからこそ人生ゲームという言葉を使っている。勿論これは商標登録されているので、正式に作りあがったら使えなくなるが。



 
 
 

●ゲームを作りきる事3

 ここまで、「書く」そして<後で見返してゲーム内容が理解できる>事、その中身は「具体的」である事、それが重要とだと説明してきた。

 では何故これが作りきる事に繋がるのか?

 どんな内容の、どんな媒体で目指す物を作るとしても、一瞬にして出来上がる物はない。AIの助けを借りるにしても、当然そこには時間がかかる。まあ、未来の事はこの限りではないかもしれないが、現時点では、である。

 であれば、以前にも書いたように、制作意欲には浮き沈みが存在し、作業がはかどる事もあればやる気が起きない時もあり、最悪、そのままあきらめる、飽きるという事もあり得る。

 だからこそなのだ。

 「書く」そして<後で見返してゲーム内容が理解できる>事、その中身は「具体的」である時、それを後で見返す事ができるようになる。何を当たり前の事をと思うだろうが、この時書かれたテキストには、または絵には、その時の思いも一緒につづられている。それを書いた時の情熱が本物であればあるほど、見返した時、その本人にその時に近い、もしくはその時こうだったという感情、制作への思いがよみがえる。

 いわば制作欲のセーブである。

 この機能は残念ながら、長期保存には向かず、いや、情報自体は長期保存しているが、情熱の保存力は低く完全ではなく、一時的ですらある。だとしても、一時的にでも保存は可能なのだ。そしてそれは積み重ねる事で、薄くなりつつも再び一時的な保存が可能になる。そうすると意外と長く、制作意欲は持ち続ける事になるが、保存される熱量はどんどん低くなっていく。

 だがそれでいいのだ。ここで重要なのは、繰り返しの「保存」である。それも更新された「保存」である。

 情熱が低いのに、それでいいのか? と思う向きもあるだろうが、低くなり切った時には、繰り返しの「保存」が行われている状況であり、即ちそれは、日常的な作業となっているか、それに近いものになっているはずだ。何故なら、繰り返しているからだ。

 これで、今まで書いてきた事の内容とはつまり、作りきる為には本人の思いが必要だという事である。その思いとは、作り続ける情熱であり、情熱は冷めるので、作り続ける事を日常化してしまえばいい、という事なのだ。

 だからこそ「書く」のであり、その中身は<後で見返してゲーム内容が理解できる>必要があり、ぼやけた部分をなくして「具体的」にして、それを繰り返して思いを「保存」すべきなのだ。

 作り方は何でもいい。作るものもなんでもいい。作りたいのに作りきれず、何度もあきらめてしまうのであれば、まずはこれを実践してもらいたい。勿論、この方法がダメであったり、やっている最中に自分に合わないという人もいるだろう。

 だがそれでいいのだ。その時、このやり方の何がダメなのか、何が合わないのか、それをきちんと把握できれば、作りきる事へ、また一歩近づけるからだ。

 自分はボードゲームを作っているので、もっと作り手が増え、そこへ沢山のプレイヤーが増えてほしいと思っている。その一助になれば、と。



 
 
 

・13歳~

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