top of page

●雑記

1人用<秋>の新作ゲーム制作。

エラーを発見。

修正開始。

既にトライアンドエラーを繰り返す段階に。

試験的にゲームを仮でプレイしてみたが、

思った程時間はかからなかった。

いや、かけようと思えばいくらでもかけられそうだが。

息苦しさすら感じる

そんなゲームを目指す。


ゲーム作り。

<かく>

<目的>

<再現性>

<中身>

<アイデア>

<時間>

<実現性>

<説明書>

と説明してきた。

後は見た目を整えて

適した場所、

ボードゲームなら印刷を依頼するし、

デジタルならもっといろいろな場所に公開できるし、

第三者の目の触れる場所に出せれば終わりである。


そうはいっても、だ。

じゃあそれぞれの詳細はどうなのかと

思う向きもあるだろう。

という事で、

一つの例としてちょっとだけ詳細を見ていこうと思う。

最初は当然

<かく>

である。


書く、でも描く、でもいい。

とはいっても

お勧めは

書く

である。


何故なら

最も具体化できるからだ。

逆に言えば

書けない事であれば、

ゲームのシステムにならない。


何となくイメージでこんな感じ、

というのを書く事もできる。

だが、ここでいう書くは

もっと具体的だ。


以前クライアントとの打ち合わせで、

「もっと速く」

と言われたので、速く動かした。すると、

「もっと遅く」

と言われた。

なる程、じゃあ中間の速度だな

と作って見せたら

「そうじゃない」

と言われた。

「?」

分らなかった。

いやいや、何か新しい表現を求めているのかもしれない。

そう思い色々トライアンドエラーを経て紆余曲折、

これならどうだろう

「だから違うんですよ」

「?」

となった。

すると

「じゃあデータを貸してください僕がやってみせます!」

と言ったので、

データを渡して待つ事数日。

ひょっとしたらこちらの思い違いなんじゃないかと

若しくは思いもよらない物が出てくるのかとワクワクして次の打ち合わせの日。

クライアント開口一番、

「出来ませんでした!」

すげぇ。

この仕事の打ち合わせは何故か人気で

楽しい仕事だった。


いや、そういう話じゃない。

これを具体的に

書く

に落とし込むと単純に、

「速くて遅い動き」

となる。

これは<かく>事にはならない。

書いた内容同士が矛盾するのはいい。

後で取捨選択するだけの話だ。

だが、

一つの内容の中で矛盾があるのは違う。

ただの間違いだ。

実現できない。

こうした事を最初にエラーチェックできるため、

<かく>においては

書く

を推奨したい。

 
 
 

●雑記

1人用秋の新作ゲーム制作。

脳みそが大変。

かなりソリッドなゲームイメージになる予定。


湿度が無いと

やはり快適。

でも

全くないとそれはそれで

今年の夏は大丈夫なのか?

という

漠然とした不安を感じる。


ゲーム作り。

<かく>

<目的>

<再現性>

<中身>

<アイデア>

<時間>

<実現性>

ここまで来たなら

そのゲームはだいぶ具体的になっている。


そのぐ遺体的なものを

より確実にする為、

次に行うのは、


説明書


である。

正直、どんなに良くできたゲームでも

どんなに前評判が良いゲームでも、

この部分が悪いと

評価が地に落ちかねない。


説明書は読んで字のごとく、

説明を書いたものなのだが、

ゲームという体験を伝えるものとしては、

もう一歩進んで考えた方がいいと思う。

それは


面白さ


である。

物語の様に

メリハリをつけたり

面白い文章や

楽しそうに伝える必要はない。

まあ

出来るに越したことは無いが。

ゲームを買った時点で、

少なくとも興味のあるユーザーなので、

説明書にはルールを伝えるテキスト以外に、

「なるほど、こうするゲームなのか」

と明確に目的が伝わる事が重要で、

これが

プレイした際に、

面白さとなって伝わるものが

良い説明書だと考える。

だから内容はたんぱくでもいい。

どんなに細かいルールであってもいい。

ただし、目的が明確で

ユーザーが納得するものである事が必要なのだ。


良く自由度の高さを謳うゲームがある。

何をしてもいいゲームだ。

この場合、明確にすべき目的は、

自由

である。

ファンタジーRPGでボスを倒す目的のゲームがある。

でもそれをやらずに寄り道を楽しむユーザーもいる。

じゃあ目的が違っても楽しめるじゃないか

と、思う向きもあろう。

違うのだ。

目的と違う事をやっている状態が楽しい

のだ。

即ち、

目的

という明確な答えがあるからこそ、

そこから外れる楽しさを見出しているのだ。

目的が無ければ目的から外れる

という事も出来ないという事だ。

説明書であれば、

いきなりそれから始まってもいいくらいなのだ。

 
 
 

●雑記

1人用秋の新作ゲーム制作。

すごく頭を使うので

非常につかれる。

こりこり作業中。



ゲーム作り。

<かく>

<目的>

<再現性>

<中身>

<アイデア>

<時間>

と話をした。


ここまで来たら

いよいよ

となりそうだが、

実はここに

最重要かつ

最も現実的な問いかけが来る。

それは


実現性


である。

色々と<かき>

そこから<目的>を明確化し、

矛盾や不明の無い<再現性>を確保し、

それらに見合った<中身>を用意し、

更にそれ等に合った<アイデア>を積み重ね、

<時間>を置いて再び向き合った時、

そもそも

それを自分が具体的にゲーム化できるのか?

である。

根源的であり重要な部分である。


それ、最初に確認する内容じゃね?

と思う向きもあるだろう。

そもそも最初に考慮していた場合、

<かく>時点で制限がかかり、

理想の<目的>を想定できないし、

これらが無理なのだから

続く要素へ進む事が出来ない。

要するに

<実現性>とは

可能性を消す行為なのだ。


これを最初に行う弊害とは、

安全策を必ず選択してしまう

という事であり、

これは

ゲーム作り

から最もかけ離れた行為である。


では逆に何故このタイミングなのか。

ここまで散々作り上げてきた物なのだ。

全部実現したい事で構築されている。

でも全部は無理である。

しかし可能な限り

実現させたい物であれば、

やらないとう安全策ではなく

どうにかできないか?

という可能性を探る方向へ行きやすい。

時間、お金、技術、知識、

それら全てが潤沢という事もないだろう。

だから

この時に行うのだ。

可能性を可能な限り広げた状態。

その状態での

<実現性>

である。

 
 
 

・13歳~

Copyright 2021 shootingdesign All Rights Reserved.

© 2023 - Wix.com で作成されたホームページです。

bottom of page