牛乳を飲んでいる。最近また飲む量を増やし始めた。というのも何故か牛を処分する方向に動いている様だからだ。一頭につき十四万円支給だったかな? で、その上で食糧難に備える為、昆虫食を進める方針に見える。
勿論、ここでいう牛は乳牛の方らしく、肉の方ではない。しかし、だからといって不要というわけでもない。だが牛乳が余ってしまっているのも確か。
少し前、全国的に牛乳が足りなくなった事がある。その時、国の方針で牛乳の生産量を増やす事になったのだが、その結果、現在は余るようになり、余ったのだから処分したらどうだろう、という考えなのだろう、故に処分すると十四万国から支給される。
分かりやすい。
が、分かりやすいだけに短絡的でもある。
そして将来の食糧難に向け、昆虫食を進めるという。
食糧難に対し、何か対策を講じておくことは、良いと思う。
昆虫食そのものも、別に構わない。
だがそれと並列で、牛の処分が正しいのかと尋ねられれば、答えは違うと思う。
何故、その牛を生かして将来の食糧難研究対象としないのか? と思うのだ。
牛乳が余っているという事は、量が多いという事である。食糧難とは食べ物の量が少ないという事である。状況にもよるし簡単とは言えないが、余るほど作れるものが、今現在あるという事だ。
当然、生産にはコストがかかる。ここでいうコストとはお金だけの事ではなく、それを作り出す為に消費するすべてだ。
同じ1tを作り出す為に、昆虫食と牛乳ではどれだけの差があるのかまだ分からないが、昆虫食に関しては法制度や安全基準等まだこれからの部分が多い。要するにコスト以外の面が未知数なのだ。当然、最先端で働いている人達であれば、ある程度把握はできてるのだろうが。
また栄養価についてもよく言われるように、昆虫食の場合、グラム当たりに含まれるたんぱく質が、牛肉より多いとされる。
確かに効率的な面も必要だろう。食糧難を想定しているのだから。
持続可能な世界、という言葉を最近よく聞く。もしそうであるなら、何故、今ある物を持続させるという研究を行わないのか。新しい研究は、必要である。それが昆虫食というのも、良いと思う。昆虫に限らず、細菌だろうが何であろうが、だ。しかし、それが「持続可能な世界」を目指す為の行動なのだろうか、と考える。今ある物について研究し、研究し尽くし、答えが出たとまでは言えずともコストや効率、他への影響力など、全て考えてから行動した方が、良いと思うのだ。
考える事を、ところどころ放棄してる。
もっと違う事を書き立ったのだが。美味しいお店の話とか。