●ゲームを作りきる事1
ボードゲームに限らず、今は個人でゲームが作りやすい環境が整いつつあると思う。整っているとは思わない。ただ整いつつはあると思うし、unityなど高レベルのツールは商用でなければただで利用できる。またアナログゲームであれば100円ショップで材料は揃えられるし、品質を一定に保って量産するの出れば安価に印刷を頼む事もできる。しかも立体物であれば3Dプリンターもある。
ただ、こうした環境は整いつつあるも、だからといってゲームが作りあがるかといえば、まったくそんな事はない。
むしろ手軽に作り出せる分、形にならず消えていったアイデアは星の数になるだろう。
何故そうなってしまうのか?
色々理由はあり、個人やその制作団体の性格にもよるが、一番の原因はクオリティーの追及にあると考える。色々な状況を踏まえても、最終的にはこの原因に行き着く。
「そこまでクオリティを求めてないよ」という人もいるだろう。いや、訊き返せばむしろ殆どの人がそう答える。ではクオリティとは何か?
初めてゲームを作り出す時、その制作の熱量はとても高く、ある程度勢いもついている為、やればやる程進捗が目に見えて進み、それが楽しくまた進めていける。
だが疲れない人間はいない。特に最初の熱量が高ければ高い程、平熱に戻った時の温度差は激しいものとなる。
じゃあ最初から熱量が低ければいいのかといえば、結論から言えばそうなのだが、それだと作り出す最初の一歩が出ない人も多い。それに自分のそうした熱量をコントロールできるのならそもそも苦労しないわけで、だからこそアイデアで終わってしまう個人、制作団体の作品は多いのだ。
ではどうすべきか?
結論から言えば、「書く」事である。
何を云っているのか、当たり前じゃないかと思う向きもあるが、もちろん理由があっての事だ。
ここでいう「書く」とは、<後で見返してゲーム内容が理解できる>内容の物を指す。勿論書いた本人が分かればよい。アイデアが浮かんだ時、忘れないでおこう、と決意する人もいれば、きちんとメモする人もいる。そして後で見返した時「何だこれは?」となる内容は書いた事の内に入らない。勿論決意もだ。
どれだけ時間がたっても<後で見返してゲーム内容が理解できる>内容を「書く」事が、ゲームを作りきるきっかけとなるのだ。何故なら一瞬で制作できるゲームは殆どなく、時間は作り上げる為に必要だが、時に余計な要素をもたらす事があるからだ。
まずは<後で見返してゲーム内容が理解できる>内容を作り上げる事が、最も最初の段階であり、その粗があろうがバグが有ろうが出来上がった状態を眺める事が重要なのだ。
人物絵を描くにしても、どんなキャラにするのか最終イメージが無ければ、いつまでたっても出来上がらない。料理を作るにしたって、最終的に何を作るのか目標が無ければ、材料も揃えられないだろうし、味見もできない。
すなわち「書く」とは、そのゲームの最初から最終段階を<後で見返してゲーム内容が理解できる>状態にする事なのだ
まずはここから始めたいと思う。
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