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●ボードゲーム作り01

 自分がボードゲームを作る時、あれも作りたいこれも作りたいと色々アイデアだけはあるが、どれが面白くてどれが面白くなさそうか、正直判断がついていない。何故なら、作っている最中にも、よりよくしようとする気持ちとアイデアが出てくる為、最初の状態とは変わってくるからだ。まあ流石にこれはいくら何でも、というものもあるが。

 そこでたくさんある中から何を作っていくか、という事だが、これは何を作りたいか分からない、と実は同じ状態だといえる。何を作りたいか分からない、けど何か作りたい。そんな状態。

 そこで、自分の場合、最初に決めるのは「体験」である。

 その造りだしたゲームで、プレイヤーに何を「体験」させたいのか、を考えるのだ。

 ●①例えばミラーインドラキュラという作品を作った時である。このゲームは光を反射させて相手に当てれば勝ち、という対戦パズルゲームなのだが、このゲームで「体験」させたい事は<先読み、混乱、見落とし>である。

 ルールの詳細は省くが、各カードを回転・スライド・破壊する事で光の進路が分岐したり増えたりし、到達地点が複雑になっていくゲームなのだ。この<先読み、混乱、見落とし>を「体験」させたい為に、鏡で光が反射する、というゲームルールを作ったのだ。

 なので、<先読み、混乱、見落とし>を「体験」させる事ができるなら、必ずしもこのゲームである必要はない。たまたまこの時思いついたゲームルールであるにすぎない。もし今同じ「体験」をしてもらいたいとして作るなら、まったく別のゲームになると思う。もしくはわざと似たゲーム性で、よりアイデアを成熟させたものも作れるだろう。

 ●②またロールプレイングのreabyssの場合、1人用で繰り返し遊びたいという欲求があった。この時思った「繰り返し遊びたい」は勿論「体験」なのだが、より強く思った「体験」は<ゲームオーバー>であった。細かく話していくと長くなるので省くが、単に<ゲームオーバー>ではクリアできないようにすればいいだけなので、そもそもそれはゲームといえない。なので宣伝でもよく使わせてもらった言葉が<ローグ、ウィザードリィ>であった。それを「体験」させたかったのだ。1人用でサイコロを使わず、繰り返し遊べるものとして。

 こうして他のゲームについてもそうだが、「体験」がそのアイデアの根幹となっている。これはまあ、自分の場合なのでこの考えが正しいとも便利であるというわけでもなく、一つの指標に過ぎない。

 じゃあ何故、自分の場合は「体験」を根幹にしているのか。

 それは<作り出す目的からずれないようにする>為である。先程も書いたように、作っている最中にアイデアが出てきて、コレも、アレもと色々詰め込みたくなってくる。取捨選択をしたとしてもそれを制限なく繰り返していくと、いずれ別の物になっていく。まあ、ショットボックスシリーズは32mm×36mm×36mmサイズなので、そもそもそんなに詰め込めないが。

 この時、ではどのように抑えるか、どのように目的からずれなく作っていくか、それを決める物差しが、メインとなる「体験」である。

 他の要素を入れる事でこのメインの「体験」が面白くなるか、薄まらないか、極端になりすぎないか、何の影響も与えないか、それらを考え、時にテストプレイを繰り返し取捨選択と修正をしていく。

 ●①であれば1人用のゲーム性も入れようとしていたが、<先読み、混乱、見落とし>という「体験」要素がうまく保てず、それを入れない事にした。

 ●②の場合、パーティーを組む、経験値、など他にも様々な要素があったが、その結果勿論複雑になっていくわけで、それは「繰り返し遊びたい」に対し手間がかかるという状況を作り出すので、省くことにした。他にも様々な影響がアイデアを入れる事で発生したので、それら全てを入れない事とした。

 こうして指針がぶれない事で、作り込みや調整などまだまだ甘い部分はある物の、最後まで作りきる事ができたのだ。

 そうして、現在進行している新規のゲーム「体験」は<困る>である。困らせたいのだ。そこにはZoLaの時のような戦略性ではなく、日常的な悩み、もしくはそれに準ずる悩みであり、だからこそ人生ゲームという言葉を使っている。勿論これは商標登録されているので、正式に作りあがったら使えなくなるが。



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●ゲームを作りきる事3

 ここまで、「書く」そして<後で見返してゲーム内容が理解できる>事、その中身は「具体的」である事、それが重要とだと説明してきた。

 では何故これが作りきる事に繋がるのか?

 どんな内容の、どんな媒体で目指す物を作るとしても、一瞬にして出来上がる物はない。AIの助けを借りるにしても、当然そこには時間がかかる。まあ、未来の事はこの限りではないかもしれないが、現時点では、である。

 であれば、以前にも書いたように、制作意欲には浮き沈みが存在し、作業がはかどる事もあればやる気が起きない時もあり、最悪、そのままあきらめる、飽きるという事もあり得る。

 だからこそなのだ。

 「書く」そして<後で見返してゲーム内容が理解できる>事、その中身は「具体的」である時、それを後で見返す事ができるようになる。何を当たり前の事をと思うだろうが、この時書かれたテキストには、または絵には、その時の思いも一緒につづられている。それを書いた時の情熱が本物であればあるほど、見返した時、その本人にその時に近い、もしくはその時こうだったという感情、制作への思いがよみがえる。

 いわば制作欲のセーブである。

 この機能は残念ながら、長期保存には向かず、いや、情報自体は長期保存しているが、情熱の保存力は低く完全ではなく、一時的ですらある。だとしても、一時的にでも保存は可能なのだ。そしてそれは積み重ねる事で、薄くなりつつも再び一時的な保存が可能になる。そうすると意外と長く、制作意欲は持ち続ける事になるが、保存される熱量はどんどん低くなっていく。

 だがそれでいいのだ。ここで重要なのは、繰り返しの「保存」である。それも更新された「保存」である。

 情熱が低いのに、それでいいのか? と思う向きもあるだろうが、低くなり切った時には、繰り返しの「保存」が行われている状況であり、即ちそれは、日常的な作業となっているか、それに近いものになっているはずだ。何故なら、繰り返しているからだ。

 これで、今まで書いてきた事の内容とはつまり、作りきる為には本人の思いが必要だという事である。その思いとは、作り続ける情熱であり、情熱は冷めるので、作り続ける事を日常化してしまえばいい、という事なのだ。

 だからこそ「書く」のであり、その中身は<後で見返してゲーム内容が理解できる>必要があり、ぼやけた部分をなくして「具体的」にして、それを繰り返して思いを「保存」すべきなのだ。

 作り方は何でもいい。作るものもなんでもいい。作りたいのに作りきれず、何度もあきらめてしまうのであれば、まずはこれを実践してもらいたい。勿論、この方法がダメであったり、やっている最中に自分に合わないという人もいるだろう。

 だがそれでいいのだ。その時、このやり方の何がダメなのか、何が合わないのか、それをきちんと把握できれば、作りきる事へ、また一歩近づけるからだ。

 自分はボードゲームを作っているので、もっと作り手が増え、そこへ沢山のプレイヤーが増えてほしいと思っている。その一助になれば、と。



●ゲームを作りきる事2

 「書く」そして<後で見返してゲーム内容が理解できる>事がゲームを作りきる事だと前回ブログにした。今回はその詳細を説明していきたいと思う。

 どのようなゲーム、アイデアにするのかは様々だが、ゲームである以上、明確に目的があり、もしくはそれに準じた達成すべきものがあると思う。全てはそこへ向かって収束していくので、まずそれを「書く」。それも、かなり具体的に「書く」。

 例えば分り易く~①ボスを倒す~ゲームの場合、勿論これでもいいのだが、倒した結果まで「書く」べきなのだ。上記の内容をより具体的にした場合、一例だが~②ボスを倒して、お姫様を救い、国に平和をもたらす~としたとしよう。または③~ボスを倒し、仲間4人を救ったが、1人だけ見つからなかった~という場合もあるとしよう。

 この時、前述の①②③から受ける印象は、まったく同じだろうか?

 ①の場合、だいぶたんぱくな印象を与え、物語性は希薄な感じを受けないだろうか。②③はそこに物語性が生まれている。②の場合、よくある設定だがそれだけに、基本的なゲームのベースを思い浮かべやすい。③の場合、仲間という単語と救ったという単語が合わさり、更に人数が具体的に出てくる事で、様々なシチュエーションがそこには起こりえるだろう。

 これらは<後で見返してゲーム内容が理解できる>という目的を達成してはいない。しかしながら①②③のどれがより<後で見返してゲーム内容が理解できる>に近いかといえば、やはり③になるだろう。

 ①はロールプレイングのボスなのか、パズル的な最終目標のボスなのか、固有の1つなのか、複数なのか、そういったものが一切分からず<後で見返してゲーム内容が理解できる>になりえない。

 ②は何となくロールプレイング的な物だと予想でき、姫救出と国に平和とあるのでその分具体的ではあるが、簡単に想像できる分<後で見返してゲーム内容が理解できる>ではなく、書かなくてもよくある話という事で、逆説的に足りていない。そこにはゲームを作るだけの動機と、作る側の個人的表現欲求も満たされていないのだ。

 ③はボスの具体性が無く、仲間がどのような仲間なのか、最初から捕まっているのか途中からなのか、そうした具体性もないが、これを目的として「書いた」理由が他の①②よりも強く出ているだろう。もう少し詳細を追ってみると、ボスが何だか不明だが、仲間を救えるという事は、ボスは仲間を殺さない状況であり、人質なのか人柱なのかは分からないが、ボスにとって何かしら必要でありそうした状況から、ボスには人間的な知性がある事が予想できる。勿論、ゲームを作り出そうとしている最中に、そんな事を書いている本人が思っているわけはないが、<後で見返してゲーム内容が理解できる>とはそうした情報の積み重ねが「書かれている」事なのだ。

 それ故①②③はそのどれも<後で見返してゲーム内容が理解できる>には足りていないが、③が他より良いとする理由はそこにある。

 この内容は、ゲームのつくり方ではなく、ゲームを作りきる事に主眼を置いているので、必ずしも前述のように、目的、目標から「書く」必要はない。先に出だしを「書く」事でも同じ状況を作り出せるからだ。

 ~④ボスを倒す為に旅に出た~

 ~⑤攫われたお姫様を救いだせ~

 ~⑥5人の仲間と個性を生かして世界を救え~

 この④⑤⑥であれば、やはり前述と同じような事が言える。

 「書く」そして<後で見返してゲーム内容が理解できる>事がゲームを作りきる事とは、具体的な文章にしていく事であり、具体性は次なる具体性を想像させ、作り上げていくゲームの中身を、丈夫に仕上げていく事に繋がる。それは建物でいう、構造と鉄骨と梁であり、そこさえしっかりしていれば建物自体のデザインが奇抜であっても形になり、何より重要な<後で見返してゲーム内容が理解できる>に繋がるのだ。

 「書く」そして<後で見返してゲーム内容が理解できる>事がゲームを作りきる事、その中身は「具体的」である事、それが重要となる。



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