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●雑記

2作目の作業中。

説明書の修正中。

焦らずじっくり、しかし適切な速度で作業。

ここをミスるとプレイできないしね。



ゲームを作る為に

かき 創造し 体験 をくみ上げていく。


その結果

行動したならば何かが手元に残っているだろう。

そしてそれはゲームである以上、

プレイできるものになる。

プレイの定義は置いておいて。


誰のためのゲームなのか、

誰に向けてのゲームなのか?


答えは単純で、

自分の為

である。


何故なら

自分は他人の本当の心の内を知るすべがないからだ。

そして面白いと思う体験は

自分の中から出てきたもの、

もしくは、

聴き知ったとして自分の感情である。

他人の感情を自分の中に入れられない限り、

それは知りようがないのだ。

推測できたとしても。


だから

自分の為

である。


徹頭徹尾自分の為にゲームを作る。

作り込む。


まるで独りよがりだ。

自分以外の誰も楽しめないかもしれない。

それでは受け入れられないだろうから、

客観的に作る。

という考え方が普通だと思う。

企業なんかはそうなる。


だが個人ベースで制作するなら、

それは無理なのだ。

理由は先に述べた。

知りようがないものは作りようがないからだ。


ではなぜ企業にはそれが出来るのか。

単に人数の多さと、

作る仕組みが

そうなっているからにすぎない。


人数が多ければ

その個々がそれぞれ独りよがりでも、

作り上げる為にはどこかですり合わせをせねばならず、

その結果

大勢の主観による

良いと思っている共通項目、もしくは妥協によって製品となるからだ。


となれば反対に

個人、もしくは少人数であれば

良いと思っている共通項目は、勢い少なくなる。

少ない共通項目を

不特定多数の人がどう思うのか、

それは知りようがないのだ。


じゃあそもそも独りよがりでしか作れない

という話でしかないじゃないか。

と思うだろう。


作った時点ではその通りである。

それ以外の答えが出ようがない。

じゃあそれでいいのか言われれば、

一つ、条件があると思うのだ。


ルールと面白さを伝える努力


である。

どれだけ独りよがりでもいいが、

それを伝える、

自分が面白いと思った体験を伝える、

そこは努力であり、伝わる様に工夫する

客観性が必要になってくる。


という事は

ゲームの完成とは、

説明書の作成と宣伝をもって

云えるのではと思うのだ。


まあ説明書はともかく、

自分に宣伝がきちんとできてるとは

なかなか言えないが。

 
 
 

●雑記

2作目の作業中。

プレイ用のデータを再確認。

これがつまらないので眠くなる。

が、バグに繋がるのできちんと確認中。



ゲームのアイデアとは。

それは即ち 体験 である。


色々とゲームを作る時に

まず作りたい気持ちから入る事が多い気がする。

ほんとどの人もそうではないだろうか。

全く作りたくないのに

作りきる人もいないだろう。

いるとしたらそれは別の問題をはらんでいる。

ま、なので前提として作りたい気持ちありきとなる。

次に思うのが、

どんなゲームを作ろうか?

という事になると思う。

そこで、推理だったリアクションだったり駆け引きだったり、

色々出てくるだろうし、

既に考え付いたアイデアもあるだろう。

そしていいアイデアが思いついたら

そこを中心に色々と肉付けをしていくと思う。

もちろんこれでいい。

だが、

時間が経つと

最初に中心となったアイデアの新鮮味が薄れ、

本当にこれでいいのか?

他に思い付いてしまった

等、急遽方向転換を、

それだけではなくジャンルまで変えてしまったりしないだろうか?


ではそうならない為にはどうすべきか?


中心となるべきをアイデアから

体験

に変える事である。


いっしょやないかい。


そう思う向きもあるだろう。

確かに 体験 だろうが、変えてしまう事はある。

だが具体的なアイデアと 体験 には決定的な違いがある。

それは新鮮味である。


新鮮味が薄れる事で

当初の創作意欲は失われやすいのだが、

体験

にはそもそも新鮮味がない。


では 体験 とは何か?


それは具体的な行動と感情である。

例えば「嘘つきゲーム」というものを考えたとしよう。

最後まで騙し通した人の勝ち、という内容だったとする。

それを革新的なアイデアで作り込んでいる状況だ。

しかし時間が経って、新鮮味を最後まで感じられているなら

作りきる事はできるが、

そうでなかった場合、

せっかくのアイデアも、途中で飽きて世に出ないかもしれない。

しかしこれを 体験 に置き換えた場合、


最後のカードを出した瞬間、

勝ちを確信している相手が驚いて気持ちよく逆転勝ちする


という体験を目指して作るとした場合、

例えどんなにアイデアが変わろうとも、

目的は変わらないのだ。


アイデアを中心にする事で

そのアイデアが変わる、修正によって

ゲーム自体が変わってしまう可能性を、

体験 を中心にする事で、目指す道と目標がぶれずに済むのだ。


故にアイデアとは 体験 の実現を目論むものが望ましいのだ。

 
 
 

●雑記

2作目の作業中。

中々にいい感じのが1枚できた。

他のデザインは、

いつも通り。

普段デザインと行っても

使用カードが小さいので、

グラフィカルなデザインではなく、

機能的デザインの作成になる。

なので、

見やすいか、

見やすくてもチープすぎないか、

デザインチックすぎてわかりづらくないか、

表示の大きさは可視可能か、

用途別にカードの区別がつきやすいか、

等色々な制限の中で作業と試行錯誤。

まだメインとなるパッケージは未定。



作りきる。

気合を入れない。

いや、

必要な時はあるが、

作りきる為の気合入らない。

寧ろない方がいい。

気合とは、

いわばドーピングである。

ドーピングとは、

通常とは違うという事である。

通常と違うという事は、

無理をしているという事なのだ。

無理をしているという事は、

疲れるという事だ。

何事も疲れては続かない。

続ける為には

気合は失敗の元なのだ。

気合を使うなら最後。

何事も。

自然と過集中してしまうならいいが、

それと意識してしまったなら、

立ち止まった方が良い。

作りきる為には、

少しずつが必要。

なれていないならなおの事。

目標を定めて

そこに到達しなくてもいい。

間に合わなくていい。

ただ、間に合わなくても作りきる。

寧ろ間に合わなかったからこそ、

作りきる。

その経験こそが

重要。



暑い。

かなり危険な暑さを感じた。

ふとした切っ掛けで知ったお店にふらりと立ち寄る。

定食屋なのだがかなりリーズナブルなのだ。

が、

目の前まで行って分かった事がある。

喫煙可。

そりゃそうか。

場所柄、恐らくそういうお店の方が多い。

そういうお店に限って

というかそういうお店は努力して

リーズナブルで良い料理を出している。

頑張ってください。

行けないけど。


暑い中

ちょっと目的地まで出かける。

酷く遠回りしたのでかなりの距離。

しかし初めて歩く道。

子供たちが、

そこは園内なのか、

先生的な方々と水遊びをしている。

楽しそう。

先生たちもびしょぬれだが、

この暑さならそれも気持ちいいのかもしれない。

良くないかもしれないが涼しくはある。


HARIOの醤油さしが欲しい。

現物を見て買いたいが、

何処に売っているのやら。

 
 
 

・13歳~

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