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●雑記

2作目の作業中。

説明書の修正中。

修正した説明書だけでプレイできるか

確認のためのプレイ。

ちゃんとやる。



ゲームのアイデアとは体験である。

ゲームが遂に形になる。

この先はクリエイターではなく

一作業者となる。


ゲームは作り込んだり

新しいアイデアや見た目が出来上がると

とても楽しかったりする。

なので

凝り性の人は

何時まで経っても作り続けてしまう。


どこまでやるのか?


決断が必要となる。

その決断はいつ、どのように行うのか?


とても単純な話で、

販売日から逆算して出てきた日迄である。


もちろん個人で作っていれば

販売日を幾らでも先延ばしにできる。

でも、これは決してしてはいけない。

ゲームを作り上げる、

のが初めてのゲーム作りにおいては

最大の目的となる。

いや、そうすべきである。

何も制限がない中で、

のびのびと作り込むのは、

最終的に出来上がらない可能性を高くする。

もちろん例外はいるし、

そんな事はないというなら止めはしない。

だが初めてのゲーム制作であるなら、

決して発売日を伸ばしてはいけない。


発売日とは何か。

アナログゲームである場合、

例えばゲームマーケットの開催日などがそれにあたる。

しかし、

全員が関東近辺に住んでいるわけでもない。

だが、

初めてのゲーム制作なら、

やはりゲームマーケットの日に合わせる方がいい。

何故なら、

その前後は、

ネットに対してアナログゲームを検索する人が、

劇的に増えるからだ。

勿論、ゲーム側の情報も増えるので、

情報量の多さに埋もれてしまう事はある。

それであってもなお、そうすべきである。

特に情報が溢れ出す1か月前から、

終わった後の1か月後まで、

ここを目標にするのがいい。


発売日をこうして何かきっかけを基に決めて、

そこを決して動かさない。

多少荒くてもいい。

まずは形にする事が最も大事である。

これができないから、

ゲーム制作は挫折するのだ。

 
 
 

●雑記

2作目の作業中。

説明書の修正中。

焦らずじっくり、しかし適切な速度で作業。

ここをミスるとプレイできないしね。



ゲームを作る為に

かき 創造し 体験 をくみ上げていく。


その結果

行動したならば何かが手元に残っているだろう。

そしてそれはゲームである以上、

プレイできるものになる。

プレイの定義は置いておいて。


誰のためのゲームなのか、

誰に向けてのゲームなのか?


答えは単純で、

自分の為

である。


何故なら

自分は他人の本当の心の内を知るすべがないからだ。

そして面白いと思う体験は

自分の中から出てきたもの、

もしくは、

聴き知ったとして自分の感情である。

他人の感情を自分の中に入れられない限り、

それは知りようがないのだ。

推測できたとしても。


だから

自分の為

である。


徹頭徹尾自分の為にゲームを作る。

作り込む。


まるで独りよがりだ。

自分以外の誰も楽しめないかもしれない。

それでは受け入れられないだろうから、

客観的に作る。

という考え方が普通だと思う。

企業なんかはそうなる。


だが個人ベースで制作するなら、

それは無理なのだ。

理由は先に述べた。

知りようがないものは作りようがないからだ。


ではなぜ企業にはそれが出来るのか。

単に人数の多さと、

作る仕組みが

そうなっているからにすぎない。


人数が多ければ

その個々がそれぞれ独りよがりでも、

作り上げる為にはどこかですり合わせをせねばならず、

その結果

大勢の主観による

良いと思っている共通項目、もしくは妥協によって製品となるからだ。


となれば反対に

個人、もしくは少人数であれば

良いと思っている共通項目は、勢い少なくなる。

少ない共通項目を

不特定多数の人がどう思うのか、

それは知りようがないのだ。


じゃあそもそも独りよがりでしか作れない

という話でしかないじゃないか。

と思うだろう。


作った時点ではその通りである。

それ以外の答えが出ようがない。

じゃあそれでいいのか言われれば、

一つ、条件があると思うのだ。


ルールと面白さを伝える努力


である。

どれだけ独りよがりでもいいが、

それを伝える、

自分が面白いと思った体験を伝える、

そこは努力であり、伝わる様に工夫する

客観性が必要になってくる。


という事は

ゲームの完成とは、

説明書の作成と宣伝をもって

云えるのではと思うのだ。


まあ説明書はともかく、

自分に宣伝がきちんとできてるとは

なかなか言えないが。

 
 
 

●雑記

2作目の作業中。

プレイ用のデータを再確認。

これがつまらないので眠くなる。

が、バグに繋がるのできちんと確認中。



ゲームのアイデアとは。

それは即ち 体験 である。


色々とゲームを作る時に

まず作りたい気持ちから入る事が多い気がする。

ほんとどの人もそうではないだろうか。

全く作りたくないのに

作りきる人もいないだろう。

いるとしたらそれは別の問題をはらんでいる。

ま、なので前提として作りたい気持ちありきとなる。

次に思うのが、

どんなゲームを作ろうか?

という事になると思う。

そこで、推理だったリアクションだったり駆け引きだったり、

色々出てくるだろうし、

既に考え付いたアイデアもあるだろう。

そしていいアイデアが思いついたら

そこを中心に色々と肉付けをしていくと思う。

もちろんこれでいい。

だが、

時間が経つと

最初に中心となったアイデアの新鮮味が薄れ、

本当にこれでいいのか?

他に思い付いてしまった

等、急遽方向転換を、

それだけではなくジャンルまで変えてしまったりしないだろうか?


ではそうならない為にはどうすべきか?


中心となるべきをアイデアから

体験

に変える事である。


いっしょやないかい。


そう思う向きもあるだろう。

確かに 体験 だろうが、変えてしまう事はある。

だが具体的なアイデアと 体験 には決定的な違いがある。

それは新鮮味である。


新鮮味が薄れる事で

当初の創作意欲は失われやすいのだが、

体験

にはそもそも新鮮味がない。


では 体験 とは何か?


それは具体的な行動と感情である。

例えば「嘘つきゲーム」というものを考えたとしよう。

最後まで騙し通した人の勝ち、という内容だったとする。

それを革新的なアイデアで作り込んでいる状況だ。

しかし時間が経って、新鮮味を最後まで感じられているなら

作りきる事はできるが、

そうでなかった場合、

せっかくのアイデアも、途中で飽きて世に出ないかもしれない。

しかしこれを 体験 に置き換えた場合、


最後のカードを出した瞬間、

勝ちを確信している相手が驚いて気持ちよく逆転勝ちする


という体験を目指して作るとした場合、

例えどんなにアイデアが変わろうとも、

目的は変わらないのだ。


アイデアを中心にする事で

そのアイデアが変わる、修正によって

ゲーム自体が変わってしまう可能性を、

体験 を中心にする事で、目指す道と目標がぶれずに済むのだ。


故にアイデアとは 体験 の実現を目論むものが望ましいのだ。

 
 
 

・13歳~

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